ブログを日記と考えてみる
最近、ブログを日記として使うことを考えている。
でも、そもそも日記って人に見せるものじゃないと思っている。
それなのに、ブログという形で不特定多数の人に公開してもいいのだろうか???
この矛盾について、少し考えてみたい。
日記の本質とは何か
日記とは本来、自分自身との対話の場である。
その日あった出来事、感じたこと、心の中で渦巻く感情を言葉にして整理する作業だ。
誰かに見せることを前提としていないからこそ、率直で正直な自分と向き合うことができる。
嘘をつく必要もないし、体裁を整える必要もない。
そんな日記をブログという公開の場で書くということは、ある意味で日記の本質を変えてしまうことかもしれない。
人の目を意識した瞬間、私たちの文章は微妙に変化すると思う。
無意識のうちに「こう書いた方がいいかな」「これは書かない方がいいかな」という判断が働くんじゃないかな。
それでも公開する意味
でも、それが必ずしも悪いことだとは思わない。
人に読まれることを意識して書くことで、自分の感情や体験をより客観視できるようになる面もあるだろう。
感情に任せて書きなぐるのではなく、一歩引いた視点から自分を見つめ直すきっかけになるかもしれない。
また、同じような体験をした人が読んで、何かを感じてくれるかもしれない。
孤独感を抱えているときに、誰かの日常の記録を読んで「自分だけじゃないんだ」と思えることもあるだろう。
そう考えると、日常を記録することに社会的な意味もあるのではないだろうか。
デジタルか、紙か
日記を書く手段として、デジタルで残すか紙で残すかという選択肢もある。
この違いは、意外と大きな影響を自分自身に与える。
紙に手で書く日記には、物理的な行為としての重みがある。
ペンを握り、紙に文字を刻み込む感覚は、デジタルでは味わえない。
文字を書く速度に思考が合わせられ、ゆっくりと自分の内面と向き合うことができる。
また、後から読み返すときも、その時の筆跡や紙の質感から、当時の状況をより鮮明に思い出すことができる。
一方、デジタルで書く日記は編集しやすく、検索もできる。
思いついたことをすぐに記録でき、写真や音声も一緒に保存できる。
量的制限もほとんどない。
ただし、あまりにも簡単に修正できてしまうため、その瞬間の生々しい感情が薄れてしまう可能性もある。
ブログ日記という新しい形
ブログを日記として使うということは、この二つの特性を組み合わせた新しい形かもしれない。
デジタルの利便性を活用しながら、人に読まれることを前提とした適度な緊張感を持って書く。
完全にプライベートでもなく、完全にパブリックでもない、中間的な位置づけだ。
毎日の出来事や感じたこと、その日に湧き上がった感情を記録していく。
でも、それを誰かが読むかもしれないという意識を持って書く。
この微妙なバランスが、従来の日記とは違った価値を生み出すのではないだろうか。
続けることの意味
日記を続けることの最大の価値は、自分自身の変化を客観的に捉えられることだ。
数か月前、数年前の自分が何を考え、何に悩んでいたかを振り返ることで、自分の成長や変化を実感できる。
ブログ形式で書くことで、この振り返りに他者の視点も加わる。
コメントやリアクションを通じて、自分では気づかなかった側面を発見することもあるだろう。
最後に
結局のところ、ブログを日記として使うかどうかは、その人次第だ。
プライバシーを重視するなら従来の日記がいいし、他者との繋がりを求めるならブログ形式もありだろう。
私は少しずつ、このブログを日記として使っていこうと思う。
毎日の小さな出来事、ふとした瞬間に感じた感情、そんな些細なことを記録していきたい。
それが誰かの心に響くかもしれないし、何年か後の自分にとって大切な記録になるかもしれない。
大切なのは、継続することだ。
どんな方法であれ、自分と向き合う時間を持ち続けること。
それが、日記を書く本当の意味なのかもしれない。













